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ニュートラル

他人は自分を勝手に評価する。
自分は他人をやはり勝手に評価する。

自分は「こんな風に評価してほしい」と訴えるが、他人は自分の思惑どおり評価しない。

他人は「こんな風に評価してほしい」と訴えるが、自分は他人の思惑どおり評価しない。

人間って、多分こんなもんだ。

自分を「こんな風に思ってほしくない。」と、訴えても
他人は「あなたなんてこんなもんでしょ」と評価されるもんだ。

他人が「こんな風に思ってほしくない。」と、訴えても
自分は「あなたなんてこんなもんでしょ」と評価してしまうもんだ。

ここまでは、マイナス状況の思考を記述してみた。

逆にこんなこともある。

自分は「ここまでしかできなかった」と自己評価をマイナスに付けるが、
他人は「あなたは、ここまでよくやった」と評価することもある。

人は人を評価する。
そして評価される。

学校であれ、会社であれ、役所であれ、芸能界であれ、政界、角界、野球界、
業界問わず、すべての組織である。
地球全体である。

私が経験してきた組織では、
「評価者(上役)は公正な目で、客観的に、被評価者(部下)を評価すべきだ。」と耳にしてきたが、
多分、公正な評価を的確にこなした人はいないだろう。

これは、すべての組織に言える。

だから、組織に属し、自分に対する評価が低いと感じる人にこんな助言を贈っている。

「自分に対する評価は人によって異なるのが当たり前である。」

ある他人はあなた自身のことを高評価するし、ある他人はあなた自身のことを底評価する。

あなた自身も評価者になることって日常でも多いのではないだろうか?

知人が「美味しい」と高評価した飲食店で食事をしたら
あなた自身には美味しく感じられずに
底評価を下した経験。
逆も然りで、あなた自身にとっては高評価たが、知人にとっては底評価。
高評価にせよ、底評価にせよ、あなた自身と知人の評価が一致すれば、それは共感と呼ぶのだろう。

まあ、それはそれとして
評価された飲食店は、評価者(ここでは、あなたと知人とする)に
「あなたがたは公正に当店を評価してくれていますか?」
なんて言わない。

高評価に対しては、評価を励みにもっと伸ばす対策をし、
底評価に対しては、何らかの対策を検討する。
高低関わらず、何も対策を立てないという判断もある。

さて、わたくし(KUMASAKA)自身は、どうなのか?

高評価、底評価いずれにせよ、他人が評価を付与したという事実を受け入れる。
(ただし、評価結果の根拠となる「私が実行した行為」が評価者に対し歪曲されて伝えられていた場合は質し、再評価を要求する。)

自分が良かれと思って実行した行為でも、誰かにとっては幸せだが、誰かにとっては不幸だというのが常に隣り合わせなのだと考えるからだ。

まぁ、今現在、そんな考え方が旬な吾輩にとってお気に入りの合言葉を下記に示す。

「ニュートラルな気持ちを保つ」

本日は以上。
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プロフィール

ザ・スタイリッシュ・サラリーマン・KUMASAKA

Author:ザ・スタイリッシュ・サラリーマン・KUMASAKA
性別:Male
生年:1976
血液:B
職業01:ザ・スタイリッシュ・サラリーマン
職業02:ザ・スタイリッシュ・ストリートダンサー
職業03:オートマティック・クラブDJ
職業04:Webデザイナ
職業05:随筆家

運営Webサイト「久地アバウト」http://www.kujiabout.net/

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